被災者の品格
東北大震災から2か月が過ぎた今、被災者の方々の身を思うと、平穏に暮らしていることが、とてつもなく有難い事に思えてならない。
直後、台湾の知人から見舞いの電話を頂いた。
開口一番「日本人偉いね。立派だよ」
海外メディアでも、混乱の中で整然と並んで配給を受けている日本人の姿に、感銘と賞賛の声が寄せられたが、私もテレビのインタビューに答えていた高齢者の方に昔の日本人の品性を見せ付けられた気がしてテレビ越しとはいえ頭が下がった。
それは避難所で配給を受けていた人が「ありがたいですよ、こうして食べ物が頂けるんですから感謝です」支給された食事をカメラマンに笑顔でみせた。
映し出された食事たるもの、紙コップに3個のおでんと、皿の上に何かの揚げ物が1個載っていた。記者が「これだけですか」と質問したことに対して「十分です。まだあたらない人もいるんでしょうから」
この映像を見た時、敗戦から今日の日本の繁栄を築いてくださった人たちの不屈の意思と精神の高さに敬意を払わなければと深く感じた。
終戦の時は、まだ5歳だったので食べ物でひもじい思いをした経験はないが、きっと親は自分が食べなくても私に十分与えてくれていたのだと思う。
ひもじさを体験したことの無い世代の人間でもこの大災害は「飽食日本人」に対し何らかの教訓を与えているように思えてならない。
被災した人々に心を向けると、当初は食事も喉を通らなかったが、2ケ月も過ぎると人間と言うか私と言う俗物は勝手なものでもう以前の食事を回復している。
只、節電と節水は気にかけるようになった。本当は節食これが1番。
分かっています。
それにしても義援金、義援金の大合唱。
空港でも全店に募金箱を置くよう指示され、家で使っていた子豚の貯金箱を置いた。
義援金頂戴顔のトン子ちゃん
お客様の中には、非国民に思われるのでと言ってお釣り銭をいれてくださった方も居られるが集められた義援金の行方がさっぱり明らかにされていない。
銀行のATMがパンクするくらい日本中の善意が寄せられているにもかかわらず被災者の懐に届いていないと言うことは歯がゆく、腹立たしい限りだ。
台湾を始め世界中から寄せられたお金の額を合算しても1世帯あたり1千万や2千万渡せるのでないかと思う。千万単位のお金なら被災した人達も身の振り方も考えられるのではないかとゆう気がする。
住民台帳が無いから配れないとかいろいろ理由付けはしているが、先ずは避難所生活をしている人から渡すのが先決で、いつまで日赤や銀行に貯め置くのかと言いたい。
空港も、災害発生翌日からピタリと客足が止まった。
非常時ゆえ、旅行気分になれないのは当然で、誰に窮状を訴えることも出来ない。
農業や漁業にはすくなくても救済の道が用意されている。
空港のしがないお土産屋にはお客が来ないからと言って救ってもらえるすべが無い。
不謹慎かもしれないが被災地だけが被害にあっているのでない。
がんばろう、助け合おうの声援。
声援だけではお腹は膨れない。
どうか助け合いの心でハスカップ買って〜。買え!
品性を疑われても押し売りしよっと。
2011年5月20日
ハスカップ 三ツ野由希子