望郷 樺太
このところ対ロシアとの関係が思わしくない様相を呈してきたが、幼少期を樺太で過ごした私にとってサハリンは異郷ではない。
1998年7月、三菱商事のサハリン貿易を担当している方から、「サハリンにはハスカップが沢山自生しているので現地視察しませんか」との誘いを受けた。
以前、個人で樺太との貿易をしている人から「ハスカップ」と言って持ち込まれたのがコケモモの実や野生のブルーベリーだったので,真偽を確かめる意味もあったが、自生している場所が恵須取の近くとのこと。恵須取は私が暮らしていたところで、幼い記憶の中には港のそばに家があって出稼ぎの人たちが何百人もいたことと、豚を今流に言うとペットとして飼っていたので亡くなった時、悲しくて何日も泣いていたそうだ。
往時の面影が、残っているかどうかは分からないが、恵須取の港に案内してくれることを条件に同行することにした。
7月22日函館から飛行機で2時間、ユジノサハリンスク(豊原)到着。ホテルはサハリン一とのふれこみだったが値段だけは帝国ホテルなみでシャワーの水は茶褐色、バスローブもなければスリッパ、歯磨き、歯ブラシなし。
一流を知らない人間が、建物だけ一見立派に見えるように建てて運営している感じで、三菱商事の担当者に、「サハリン基準でなく日本の基準で頼むわヨ」と小言。
翌朝5時ホテル出発。ジャリ道をジープで走ること8時間。途中沿道には真柏、ガンコウラン、コケモモ、ゴゼンタチバナなど私の好きな高山植物が手付かずの状態で何十キロにもわたって自生しているのには感激した。
日本のように何処へ行ってもここから入ってはいけませんの看板があるわけでもなく一面の花園の中に身をおくことが出来、ハスカップよりもこれらの植物を輸入したほうがよほど有益でないかと思った。それに登山をせずに高山植物が見れるとあっては花好きのツアー客も沢山参加するのではないかと思う。旅行会社に企画を提案しようかと考えた。
案内は韓国人で終戦のとき日本にも、韓国にも帰れなくてこの地に残ったそうだ。
日本が統治していたときは自由で幸せだったけれど、スターリン支配になってからはつらい毎日で、年齢が50歳とは思えない老け込み様で、顔の皺が苦労を物語たっている感じで、胸が塞がる思いがした。
さて肝心のハスカップの群生地。何時間も車を走らせても一向にそれらしき原野に到着しない。もうすぐこの川を渡った先ですとのことだがこのジープでは川を渡れないとの事で、降りて長靴に履き替え、小高い原野の道なき道を、歩き回ること2時間。もうすぐです。ここを曲がってちょと行ったところです。何回となく繰り返される『もうすぐ』にだまされ私の体力が限界に達したとき幻のハスカップが出現。
初めて勇払原野でハスカップを口にした時、どこか遠い日の記億の中の味に重なり、私を子供の頃に回帰させてくれました。私がハスカップに魅せられたルーツに辿り着いたような感動を覚えました。
帰途、恵須取の海岸に案内してもらいました。
かっての港は岸壁にその面影を見ることが出来ましたが、すぐそばに高さ20メートルもあろうかと思われる巨大な記念碑が建っていました。碑には1945年9月5日ソ連軍この地に上陸と書かれていました。日本が8月15日ボツダム宣言を受け入れた後に侵略したことを物語っている証で、日露友好を唱えるのならこんな理不尽な碑を堂々と建てていることに抗議すべきではないかと、敗戦国の非力さをしみじみ感じました。ビザ無し交流などといっていかにも善意の行為を行っているつもりかもしれませんが、日本にとってこれまで、どんな有益なことがもたらされたのか疑問に思います。
帰れでなく、返せ北方四島だ!
海岸沿いの線路の跡を見たときは、艦砲射撃の中、父母が幼い私を背負って逃げた回った時の話が思い起こされ涙がとまらなくなりました。
人道支援などと言って友好の家を建てたり、物質を送るなら、税金を使わずにやりたい人間が自分のポケットマネーで出したらいいだろうと思う。火傷の子供を助けたことが美談として報道されているがその治療に一体いくらの費用が費やされているか。
ロシアの子を助ける前に救命医療もおぼつかない国内の医療支援のほうが大事でないかと思う。
それに助けられた子が恩を感じて日本の返還運動に理解を示すとでも言うのか。
今のロシアは資源大国で何も日本が支援する必要など無い。
政治家も税金が国民の汗水たらして働いたお金であることにもっと心を砕くべきで、安易に援助だ支援だといって血税をばら撒かないでほしい。
わけてもロシアには今回の事件に対する措置としてビタ一文出さないでほしい。
不本意な援助には税金の不払いで対抗できる法律が無いものかと思う。
さて本題のこの時のハスカップ。
話では採取したものを冷凍して運ぶと言うことでした。
一向に届かないので問い合わせたら、ロシアの電力事情が悪く停電で冷凍した実が解けてしまったとの報告を受けました。そんなことは初めからわかっている話ではないかと思いました。大手商社の認識の甘さにいささか拍子抜けしました。
結局ハスカップ視察は徒労に終わりましたが、恵須取の地に立って初めて祖国を失うことの惨めさを思い知らされました。
もう私の歳では、この先日本がどこかの属国になったとしてもこの世にいないのでどうでもいいことですが、ひもじさを知らない今の若者達の未来が少しばかり気に掛かるところです。
と言っても人間はその時にならなければ気が付かないものですから、老婆心は無用でしょうネ
2月1日
新千歳空港ターミナルビル2F ハスカップ 三ツ野由希子