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生と死の淵から

Posted by mail.ogu.check on 7月 24 2010 | 雑記

5月10日左下腹部に激痛。タクシーで主治医の病院に駆け込んだ後は、気を失ったようで、救急車でどこかに運ばれているらしいという微かな記憶がある事と、麻酔の針の痛みを感じた後は、呼吸をするのが苦しくて自身がどういう状態なのか分からなくなっていた。

「身内の方を呼んでください。」「血小板(通常の状態では20万個)が2千個なので輸血をしなければならないので同意書にサインをお願いします」とのこと。

体温が39度、血圧は上が65、下は測れない上に酸素の測定量が20とかで、顔には酸素吸入の器具が取り付けられた。輸血と点滴の管が足の付け根の血管に入れられ身動きが出来ない。

呼吸をするのが苦しい上に、酸素吸入器のせいか喉が乾いて更に苦しい。
吸入器を外すとナースステイションから看護師さんが飛んでくる。
「今死ぬか生きるかの瀬戸際なのに外したら死ぬわよ」と叱責。
「もう死んでもいいわ」と言ったら「死にたい人は病院に来ないでください」
ごもっともな意見と感心するが、自分の中では死の淵にいると言う意識が無い。

急性の尿管結石から敗血症を引き起こしたらしく泌尿器科の医師と循環器の専門医とが連携して治療に当たってくださった。

見舞いに来た社員や友人は、助からないのではないかと思ったらしい。
顔の色が紫で、目も虚ろで言葉を発するのが億劫そうに見えた様だ。
この話好きの私が無口に映ったというのは、よほどひどい状態だったのだろう。

約1か月ほど入院。退院の際、婦長さんが「よく元気になられましたね」と危篤状態だったことを言うので「命が終わる」事って意外と本人は意識しないものでないかと言う気がした。
まあ、私が鈍感だからと言えないことも無いけれど、死とか命とかそう大仰に構えることでもなさそうな気がしてきた。
本人が、知らないうちにお迎えが来るのだから楽な境地でいられるのではないかと思う。

生還させていただいたので、まだこの世に何らかの使命があるらしいが、それが何んなのか答えがでないまま、ぼんやり庭を眺めて一日過ごしている。

退院したとはいえ、尿管に管が入っているため体調が優れず何をする気にもなれない。
本を読む気も、テレビを観る気も、人と会う気にもなれない。
うつ病の症状がこれに近いそうで、私ももしかするととも考えたが、うつ病になるタイプは几帳面で、生真面目、責任感の強い人がなるらしく、どう見ても私とは対局の人柄のようだ。

6月28日泌尿器科の専門病院に再入院。29日尿管の管を抜く治療。
20cmほどのビニールかゴム製の管で、こんな異物が体の中に入っていることに驚くと同時に、体調が思わしくないのも納得。

管を抜いた途端、生き返った気分になった。食欲も出てきて入院で折角6キロ痩せたのが元に戻るのも時間の問題のようだ。
うつ病に近かった気分もすっ飛び、気力、仕事への意欲も湧いてきた。

人間、体の調子が悪いと精神まで崩れるようで、病と闘いながら意欲的に仕事を続ける人は鉄人に見える。立派だなあと感心する。

家でぶらぶらしている間、唯一の慰めは、庭の牡丹。
毎日咲く花の数を数えながらカメラに収めていた。
毎年120輪ほど花をつけるが、今年もほぼ同数の花数を付けてくれた。
主を慰めようとの花の精の贈り物なのかもしれない。


牡丹満開の我が家の庭
満開の牡丹


牡丹名 村松桜 皇嘉門 連鶴
牡丹名、左から「村松桜」「皇嘉門」「連鶴」


助けられた命、せめて牡丹の花言葉のように「王者の風格」「富貴」「壮麗」に生きられたらと思うが・・・

7月24日
 
三ツ野由希子








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