高峰秀子の文章
一昨年、静かに人生の幕を閉じた高峰秀子の文章に初めて出合ったのは、大学受験のときで今から半世紀以上も前の話になる。
東大の国語問題に「黒い服」について書いた文で、出題の内容は忘れたが、黒い服を着るときの心のありようを書いた話ではなかったかと思う。
伏し目がちの哀しみを堪えた女にこそ似合う・・・・と言った文で、17歳の私にこの「伏し目がち」という表現が今でも記憶に残っている。
「二十四の瞳」「カルメン故郷へ帰る」「名もなく貧しく美しく」など沢山の映画を観せてもらったが、高峰秀子の随筆にはスクリーンで演じる役者でない素地の人柄が感じられ胸を打つ。
随筆の内容が赤裸々であるにもかかわらず、文章に品がある。
平易な言葉を遣っていて、それでいて言いえて妙と言うか、ツボにはまった表現で、そう、そう、そうですよネと相槌を打ちたくなる。
それに随筆に書かれている生き方や物に対する価値観が全くその通りで、わけても不必要なものは処分してしまうと言うのは、私も同感で、貰い物で気に入らないものは即、処分する。
商売をしているとお中元、お歳暮の類が業者から送られて来る。
どれ一つとして気にいる物がない。
こんな物くれるくらいなら仕入れを安くしろと言いたい。
或る時、業者に「どうせくれるなら懐に入るものか、撚りの効いたお茶をちょだい」と言ったら一保堂のお茶を持ってきた。
シメシメ。
高峰秀子の話に戻そう。
わたくしが学生の頃、有楽町に高峰秀子の店があった。
アンティークのアクセサリーや洒落た雑貨を扱っていて、時々、店を覗いて目の法楽をしていた。勿論、学生の分際で買える代物ではないが、高峰秀子に会えるのではとの思いもあって店を訪ねていたという気がする。
達意の随筆
「婦人画報」に、「高峰秀子の流儀」と言うタイトルで斉藤明美氏が日常の暮らしぶりを記者の客観的な目と、肉親の情にも近い敬愛の心で綴っている記事が掲載されていて毎号読むのが楽しみだった。
それ以前、現役時代に秀子が書いた「にんげん蚤の市」「わたくしの渡世日記」「巴里ひとりある記」「捨てられない荷物」など名随筆の数々読んでいたが、改めて読み返すと若い頃に感じ取れなかった秀子の洞察力の広さ、自身に対する矜持、敬服の限りである。
わけても引退後、お年を召してから書かれた随筆は私自身の歳と重ね合わせ、見習わなければと思う事が多々ある。
先日も「にんげんのおへそ」の中に書いていた文章に、
私は宗教を持たない。が、私は私だけの「神」を自分の心の中に持っている。
私の全てを静かな目でじっと見つめている。優しいけれど超オッカナイ神だから気安く願いをかけたり甘えたりせずにビクビクと遠慮がちにおつきあいを願っている。
神はひそかな心の支えであるがお助けマンではない。
困ったときに「助けてー」と叫んだこともない。
「困った時の神頼み」をしいないというのだ。
この毅然とした精神の強さと自立心には圧倒される。
凡人の私などは何か困りごとがあると神様、仏様、お父さん、お母さん、おばあチヤン「どうか助けてください」とひたすらお仏前でお祈りする。
「仏の顔も三度まで」の諺もあることなのでいいかげん、神仏頼みから卒業しなければならないのだろうが、高峰秀子のつめの垢を煎じるにしても手遅れのようだ。
やっぱり私は私らしくお仏前で「行列のできるお店にしてください」[玉の輿に乗れますように」
ひたすら、仏におすがりする毎日です。
チーン・・・・・
高峰秀子の自伝で日本エッセイスト賞受賞作
2012年2月23日
新千歳空港2f ハスカップとアイスワインの店
ハスカップ 三ツ野由希子